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墓は郷里の[[福岡市]][[早良区]]内野二丁目の西光寺と、[[静岡市]][[葵区]]沓谷一丁目の沓谷霊園の2ヶ所にある。静岡にある墓は、「自由恋愛の神様」と聞いて参拝する女学生が多い。また、1975年9月16日、[[名古屋市|名古屋]]の[[覚王山日泰寺]]で橘宗一少年の墓前祭が開かれて以来、毎年9月15日は名古屋で橘宗一の墓前祭が、翌16日は静岡で大杉栄・伊藤野枝の墓前祭が開かれることになっていたが、遺族らも高齢化し、2003年9月16日の80回忌が最後の墓前祭となった。墓前祭には三女の野沢笑子(82歳)、四女の伊藤ルイの遺児で王丸容典(59歳)ら200名が参列した。
 
墓は郷里の[[福岡市]][[早良区]]内野二丁目の西光寺と、[[静岡市]][[葵区]]沓谷一丁目の沓谷霊園の2ヶ所にある。静岡にある墓は、「自由恋愛の神様」と聞いて参拝する女学生が多い。また、1975年9月16日、[[名古屋市|名古屋]]の[[覚王山日泰寺]]で橘宗一少年の墓前祭が開かれて以来、毎年9月15日は名古屋で橘宗一の墓前祭が、翌16日は静岡で大杉栄・伊藤野枝の墓前祭が開かれることになっていたが、遺族らも高齢化し、2003年9月16日の80回忌が最後の墓前祭となった。墓前祭には三女の野沢笑子(82歳)、四女の伊藤ルイの遺児で王丸容典(59歳)ら200名が参列した。
 
== 略年譜 ==
 
* 1895年1月21日未明 福岡県糸島郡今宿村大字谷1117番地(現・福岡市西区今宿1126番地)に生まれる
 
* 1901年(6歳)4月 今宿尋常小学校入学
 
* 1904年(9歳)6月6日 叔母・マツの養女となり、榎津尋常小学校に転校
 
* 1905年(10歳)3月27日 榎津尋常小学校を卒業
 
* 1908年(13歳)4月 周船寺高等小学校3年終了後、長崎に住む叔母・キチのもとへ。西山女児高等小学校に転校
 
** 11月26日 叔父・代準介が事業を始めるため上京、今宿の実家に戻り、周船寺高等小学校に転校
 
* 1909年(14歳) 周船寺高等小学校卒業。今宿郵便局に勤務。
 
* 1910年(15歳)4月 上野高女4年に編入学
 
* 1911年(16歳)4月 辻潤、上野高女の英語教師として赴任
 
** 11月 末松家に入る
 
* 1912年(17歳)3月26日 上野高女卒業
 
** 3月27日 辻潤に抱擁される。その夜、帰郷
 
** 4月 帰省後9日目に出奔
 
** 4月12日 辻潤、上野高女を辞職。野枝と同棲。らいてうに手紙を書き、訪問し初対面
 
** 10月 青鞜社に通い始め、『青鞜』10月号に社員として名前が掲載される
 
** 11月 『青鞜』2巻11号に、詩『東の渚』を発表
 
* 1913年(18歳)1月 『青鞜』に『新しき女の道』を発表
 
** 2月11日 末松福太郎との協議離婚成立
 
** 2月15日 青鞜社講演会で講演
 
** 9月20日 長男・一(まこと)を出産
 
* 1914年(19歳)3月25日 『婦人解放の悲劇』(エマ・ゴールドマン、エレン・ケイ)を刊行
 
** 8月28日 伊藤野枝子編『ウォーレン婦人の悲劇』を刊行
 
** 11月7日 らいてうに『青鞜』をやらせてほしいと手紙を出す
 
* 1915年(20歳)1月 『青鞜』編集兼発行人となり、らいてうから引き継ぐ
 
** 5月 辻潤が野枝の従妹と関係を持ったことを知りショックを受ける
 
** 7月20日 婚姻届を出し、辻潤の戸籍上の妻となる
 
** 11月4日 次男・流二を出産
 
* 1916年(21歳)2月1日 『青鞜』6巻2号(最終号)
 
** 2月 大杉栄と恋愛関係に
 
** 9月8日 大杉と同棲
 
** 11月9日未明 日蔭茶屋事件
 
* 1917年(22歳)1月 堀保子、大杉との離婚を公告
 
** 3月5日 神近市子、殺人未遂で懲役四年の判決(横浜地裁)を受け、控訴
 
** 3月7日 神近市子、保釈される
 
** 6月18日 神近市子、懲役二年の判決(東京控訴院)、上告
 
** 9月18日 辻潤と協議離婚成立。伊藤家へ復籍
 
** 9月25日 長女・魔子を出産
 
** 10月3日 神近市子、上告を取り下げ下獄
 
* 1918年(23歳)1月1日 大杉と『文明批評』を創刊
 
** 8月26日 米騒動記念茶話会で、大杉から米騒動の目撃談を聞く
 
* 1919年(24歳)12月24日 二女・エマを出産
 
* 1920年(25歳)4月 『自由母権の方へ』を『解放』第2巻第4号、1920年4月号に発表
 
** 5月28日 大杉との共著『乞食の名誉』を刊行
 
** 11月5日 大杉との共著『クロポトキン研究』を刊行
 
* 1921年(26歳)3月13日 三女・エマを出産(戸籍上は2月13日)
 
** 4月24日 赤瀾会に顧問格として参加
 
** 6月 赤瀾会について『[[赤瀾会#『婦人の反抗』|婦人の反抗]]』(『労働運動』)と『赤瀾会について』(『改造』)を発表
 
** 6月11日 赤瀾会の講演会で「婦人問題の難関」と題して講演
 
** 6月22日 コスモ倶楽部講演会で講演
 
** 6月20日 赤瀾会の夏期講習会で「職業婦人に就て」と題して講演
 
* 1922年(27歳)6月6日 大杉との共著『二人の革命家』刊行
 
** 6月7日 四女・ルイズを出産
 
** 12月11日 大杉が日本を脱出、フランスへ向かう
 
* 1923年(28歳)7月10日 フランスから国外退去処分になった大杉の帰国を神戸で出迎え
 
** 8月1日 大杉との共訳、ファーブルの『科学の不思議』を刊行
 
** 8月9日 長男・ネストルを出産
 
** 9月1日 関東大地震
 
** 9月16日夜 大杉・橘宗一とともに虐殺される
 
:(死後)
 
* 1923年10月8日 甘粕正彦らに対する第一回軍法会議公判
 
** 10月16日 今宿村で三人の葬儀。今宿松原の墓地で三人一緒に埋葬
 
** 12月8日 甘粕らへの判決
 
** 12月16日 谷中斎場にて葬儀
 
* 1924年(死の翌年)5月25日 静岡市共同墓地(現・沓谷霊園)に三人の密葬
 
** 8月4日 今宿松原に墓碑建立
 
* 1961年(死後38年目)井手文子、『青鞜 元始女性は太陽であった』を出版、うち一章を伊藤野枝に当て、本格的な伊藤野枝研究の嚆矢を開く
 
* 1965年(死後42年目)4月 瀬戸内晴美、『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』に『美は乱調にあり』(伝記小説)の連載開始
 
* 1976年(死後53年目)8月26日 三人の「死因鑑定書」が発見されたことを『朝日新聞』が報道、虐殺の直前、激しい暴行の存在が発覚する
 
* 1979年(死後56年目)10月 井出文子が『自由それは私自身 評伝・伊藤野枝』を刊行
 
* 1981年(死後58年目)1月 瀬戸内晴美、『文藝春秋』に『諧調は偽りなり』(結果的には評伝となった)の連載開始
 
* 2000年(死後77年目)3月15日  『定本伊藤野枝全集』刊行開始
 
** 12月15日 『定本伊藤野枝全集』完結。
 
* 2003年9月16日 静岡市の沓谷霊園で80回忌墓前祭
 
 
== 著作 ==
 
=== 引用 ===
 
:どんな難儀な重荷を負わされようとも、
 
:そのために自己を粗末に扱うような事はしない
 
 
=== ブックガイド ===
 
評伝・伝記小説(発表年代順)
 
#[[井手文子]] 青鞜 元始女性は太陽であった [[弘文堂]]、1961年(野枝に一章を割いている)
 
#[[岩崎呉夫]] 炎の女 伊藤野枝伝 [[七曜社]]、1962年
 
#[[瀬戸内晴美]] 美は乱調にあり [[文藝春秋]]、1966年/[[角川書店]][角川文庫]、1969年など
 
#井手文子 自由それは私自身 評伝・伊藤野枝 [[筑摩書房]]、1979年/[[パンドラ]](→[[中野理惠]])
 
#瀬戸内晴美 諧調は偽りなり 文藝春秋、1984年など
 
 
=== 自著 ===
 
発行年順
 
* 大正3年 婦人解放の悲劇 [[エンマ・ゴルドマン]]([[エマ・ゴールドマン]])著、伊藤野枝訳、[[東雲堂書店]]
 
* 大正11年 二人の革命家 大杉栄、伊藤野枝著、アルス
 
* 大正14年 - 15年 大杉栄全集 別冊(伊藤野枝全集)、大杉栄全集刊行会
 
** 内容細目: 創作、感想と随筆、事実と批評、翻訳小説: 小数と多数・結婚と恋愛・婦人解放の悲劇(ゴオルドマン著 伊藤野枝訳)、エマ・ゴオルドマン([[エマ・ゴールドマン]])伝
 
* 1970年 伊藤野枝全集 上、[[學藝書林]]、ISBN 4905640938
 
**細目: 雑音、動揺、惑い、乞食の名誉、転機、白痴の母、或る男の堕落、火つけ彦七、わがまま、出奔、 解説: 伊藤野枝小伝(井手文子)、解説対談: 自分に生きた人(瀬戸内晴美、[[秋山清]])、 年譜
 
* 1970年 伊藤野枝全集 下、學藝書林、ISBN 4905640946
 
** 細目:青鞜社時代前期(1912-14年)、青鞜社時代後期(1915-16年)、アナキズム時代(1917-23年) 解題(井手文子) 解説対談 アナキズムを生きる([[多田道太郎]]・秋山清)
 
* 1985年1月 二人の革命家 大杉栄、伊藤野枝著、[[黒色戦線社]]
 
** アルス大正13?年刊の複製
 
* 1985年11月 乞食の名誉 大杉栄、伊藤野枝著、(叢書 青鞜の女たち 第2巻)、[[不二出版]]
 
** 社会文芸叢書3(聚英閣大正9年刊)の複製
 
* 1986年6月 大杉栄・伊藤野枝選集 第1巻、黒色戦線社
 
** クロポトキン研究
 
*** 内容細目: クロポトキン総序-無政府主義と近代科学,クロポトキンの生物学-相互扶助論,クロポトキンの社会学-人類史上の伝統・中世ギルドの話 大杉栄著. クロポトキンの経済学-田園、工場、職場,クロポトキンの教育論-頭脳労働と筋肉労働の調和 伊藤野枝著. 青年に訴う・革命の研究・自由合意-現社会の無政府・共産食堂 クロポトキン著 大杉栄訳. 無政府の事実 伊藤野枝著. 主な文献:p183 - 185
 
* 1987年5月 大杉栄・伊藤野枝選集 第8巻、黒色戦線社
 
** 相互扶助論 / クロポトキン著、大杉栄訳
 
* 1988年2月 大杉栄・伊藤野枝選集 第2巻、黒色戦線社
 
** 思索と方法 生の闘争 自序 大杉栄著 ほか42編、解説 [[大沢正道]]著
 
* 1988年3月 大杉栄・伊藤野枝選集 第3巻、黒色戦線社
 
** 社会的個人主義
 
*** 内容細目: 社会と個人 社会的個人主義 自序,唯一者-マクス・スティルナー論,意志の教育-マクス・スティルナーの教育論 大杉栄著. 生の道徳 ジャン・マリ・ギュイヨー著 大杉栄訳. 叛逆者の心理 ジョルジュ・パラント著 大杉栄訳. 主観的歴史論-ピョートル・ラヴロフ論,近代個人主義の諸相,物事の考え方,大正五年文壇の予想,最近思想界の傾向,無政府主義の腕 大杉栄著. 必然から自由へ フリードリッヒ・エンゲルス著 大杉栄訳. 史的社会観-孤月君の挑戦に応じ予が社会観を論ず・僕の現代社会観 大杉栄著. 無政府主義と組織 [[エマ・ゴールドマン]]著 大杉栄訳. 性の解放 羞恥と貞操・男女関係の進化 大杉栄著. 動物の婚姻と家族 シャルル・J.M.ルトゥルノー著 大杉栄訳.  女学生 -ストリンドベルヒ作・ 婦人解放の悲劇 ・処女と貞操と羞恥と-野枝さんに与えて傍らバ華山を罵る・男女関係について-女房に与えて彼女に対する一情婦の心情を語る文・ザックバランに告白し輿論に答う-新しき男女の一対 大杉栄著. 解説 大沢正道著. 火つけ彦七 伊藤野枝著
 
* 1988年4月 大杉栄・伊藤野枝選集 第4巻、黒色戦線社
 
** 道徳の創造
 
*** 内容細目: 家庭雑誌から 不幸の神 大杉栄著 ほか78編 解説 秋山清著
 
* 1988年7月 大杉栄・伊藤野枝選集 第5巻、黒色戦線社
 
** 労働運動の哲学
 
*** 内容細目: 労働運動の精神 労働運動の精神 大杉栄著 ほか37編。解説 小松隆二著。彼女の真実-中条百合子氏を論ず・「或る」妻から良人へ 伊藤野枝著
 
* 1988年12月 大杉栄・伊藤野枝選集 第6巻、黒色戦線社
 
** アナキストの見たロシア革命
 
*** 内容細目: ロシア革命論 無政府主義者の見たロシア革命 自序 大杉栄著 ほか27編. 解説 大沢正道著. クロポトキンの自叙伝に現われたるロシアの婦人運動 伊藤野枝著
 
* 1988年12月 大杉栄・伊藤野枝選集 第13巻、黒色戦線社
 
** ある女の裁判
 
*** 内容細目: ある女の裁判 山川菊栄論・自由母権の方へ・ある女の裁判・乞食の名誉 伊藤野枝著. 進化について 近代科学の傾向-クロポトキンによる・創造的進化-アンリ・ベルグソン論・『種の起原』について・生物学から観た個性の完成・丘博士の生物学的人生社会観を論ず 大杉栄著
 
* 1989年4月 大杉栄・伊藤野枝選集 第7巻、黒色戦線社
 
** 一革命家の思い出 / クロポトキン著、大杉栄訳
 
* 1989年5月 大杉栄・伊藤野枝選集 第14巻、黒色戦線社
 
** 大杉栄書簡集
 
* 1989年9月 大杉栄・伊藤野枝選集 第10巻、黒色戦線社
 
** 自叙伝・死灰の中から
 
* 1989年7月 大杉栄・伊藤野枝選集 第12巻、黒色戦線社
 
** 文芸評論
 
* 1996年5月 伊藤野枝全集 伊藤野枝著、(叢書女性論 23)、[[大空社]]、ISBN 475680182X
 
** 大杉栄全集刊行会大正14年刊の複製
 
*** 内容細目: 創作(雑音、動揺、惑ひ、惑ひ、乞食の名誉、転機、白痴の母、或る男の堕落、火つけ彦七)事実と批評(喰ひものにされる女、階級的反感、無政府の事実、堺利彦論、自由合意による結婚の破滅)翻訳(少数と多数・結婚と恋愛・婦人解放の悲劇 ゴオルドマン著、[[エマ・ゴールドマン|エマ・ゴオルドマン]]伝 ヒポツト・アヴエル著、付:伊藤野枝年表
 
* 1998年2月25日 [[落合恵子]]編 女心(日本の名随筆 別巻84)、[[作品社]]、ISBN 4878936649
 
** 「別居」について を収録(四巻本 定本伊藤野枝全集には収録されていない)
 
* 2000年3月 定本伊藤野枝全集 第1巻、伊藤野枝著、井手文子、堀切利高編、學藝書林、ISBN 4875170521
 
** 創作
 
*** 内容細目: 『青鞜』の時代(東の渚、日記より、動揺、わがまま、出奔、惑ひ、遺書の一部より、雑音)、『文明批評』以後(転機、乞食の名誉、惑ひ、白痴の母、監獄挿話面会人控所、ある女の裁判、火つけ彦七、或る男の堕落)、解題:[[岡野幸江]]、[[堀切利高]]著
 
* 2000年5月 定本伊藤野枝全集 第2巻、伊藤野枝著、井手文子、堀切利高編、學藝書林、ISBN 487517053X
 
** 評論・随筆・書簡 1
 
*** 『青鞜』の時代
 
* 2000年9月 定本伊藤野枝全集 第3巻、伊藤野枝著、井手文子、堀切利高編、學藝書林、ISBN 4875170548
 
** 評論・随筆・書簡 2
 
*** 『文明批評』以後
 
* 2000年12 定本伊藤野枝全集 第4巻、伊藤野枝著、井手文子、堀切利高編、學藝書林、ISBN 4875170556
 
** 翻訳
 
*** 内容細目: 婦人解放の悲劇、ボルシエヴイキの暴政 エマ・ゴオルドマン著、ウォーレン夫人の職業 バァナード・シヨオ著、科学の不思議 アンチイ・ファブル著、大杉栄,伊藤野枝共訳、響の影 マツコア著、解題:[[山泉進]]著、著作目録、年譜
 
* 2001年11月 吹けよあれよ風よあらしよ 伊藤野枝選集 伊藤野枝著、[[森まゆみ]]編、學藝書林、ISBN 4875170572
 
** (著作のほか、伝記作家・森まゆみによる評伝ともなっている)
 
 
===関連文献===
 
著作者名・監修者名・編集者名の五十音順
 
* 井手文子 青鞜 元始女性は太陽であった 弘文堂、1961年
 
** (野枝に一章を割いた、野枝研究の先駆け)
 
* 井手文子著 自由それは私自身 評伝・伊藤野枝(ちくまブックス 20)筑摩書房、1979年、ISBN 4480050205
 
* 井手文子著 自由それは私自身 評伝・伊藤野枝 パンドラ(→[[中野理惠]])、2000年、ISBN 4768478115
 
** [[筑摩書房]]1979年刊の新装版、解題:[[香内信子]]
 
* [[伊藤ルイ]]著 海の歌う日 大杉栄・伊藤野枝へ - ルイズより [[講談社]]、1985年、ISBN 4062019175
 
** (伊藤野枝が虐殺されたときに1歳だった遺児ルイズが両親に捧げた作品)
 
* [[岩崎呉夫]]著 伊藤野枝伝 大杉栄の妻 近代日本精神史の一測面 [[七曜社]]、1964年2版
 
* 岩崎呉夫著 炎の女 伊藤野枝伝 七曜社、1963年
 
* 岩崎呉夫著 炎の女 伊藤野枝伝』(Ace books)、[[自由国民社]]、1970年
 
* [[江刺昭子]]著 覚めよ女たち  赤瀾会の人びと ([[大月書店]])、1980年、ISBN 4272540238
 
** 主要参考文献: p243 - 246、赤瀾会と江刺さんのこと([[絲屋寿雄]])
 
** (コンパクトな記述ながら、野枝に一章を割いてその一生を概観。他の著作物との重複を避けて独自の視点からの記述に努めた内容は、一読の価値あり)
 
* 大杉栄らの墓前祭実行委員会編 自由の前触れ : 関東大震災七〇年・大杉栄・伊藤野枝・橘宗一虐殺記念誌 大杉栄らの墓前祭実行委員会、1993年
 
** (沓谷だより 特別号)
 
* 學藝書林編 定本伊藤野枝全集 月報:1-2 學藝書林、2000年
 
* [[木村艸太]]著 魔の宴(抄) - 伊藤野枝との恋
 
** 筑摩書房編? 人生読本 4、筑摩書房、1972年、各巻タイトル: 愛について
 
***内容細目: 現代人は愛しうるか([[福田恒存]]) 恋愛の失墜(多田道太郎) 藤の実の落ちる季節([[藤原審爾]]) われ深きふちより([[島尾敏雄]]) 母の教えのこしたもの([[金達寿]]) 若き友との別れ([[塩尻公明]]) 情事のうら悲しい報酬について - 私の姦通論([[小島信夫]]) 生れなかった子供([[坂口安吾]]) 魔の宴(抄) - 伊藤野枝との恋(木村艸太) 対談:愛について(多田道太郎、[[富岡多恵子]])
 
* [[近藤富枝]]著 伊藤野枝
 
**[[円地文子]]監修 人物日本の女性史 第11巻、[[集英社]]、1978年、各巻タイトル: 自由と権利を求めて
 
***内容細目: 福田英子(小山いと子著)、平塚らいてう(竹西寛子著)、管野スガ(山本藤枝著)、伊藤野枝(近藤富枝著)、矢島楫子(吉見周子著)、からゆきさん(池田みち子著)、女工哀史(津村節子著)
 
*[[鈴木裕子]]監修/東京女性財団編著 先駆者たちの肖像 明日を拓いた女性たち、東京女性財団、1994年3月、ISBN 481070386X
 
**(伊藤野枝をはじめ95人の女性を紹介する)
 
* [[瀬戸内寂聴]]著 瀬戸内寂聴伝記小説集成 第4巻、[[文藝春秋]]、1986年、ISBN 4163638903
 
** 各巻タイトル: 美は乱調にあり・諧調は偽りなり。参考文献:p679 - 680
 
* 瀬戸内寂聴著 瀬戸内寂聴全集 第12巻、新潮社、2002年、ISBN 4106464128
 
** 月報つき、内容細目: 美は乱調にあり、諧調は偽りなり。解説(前者は伊藤野枝の伝記小説、後者は評伝)
 
* 瀬戸内晴美著 諧調は偽りなり 上・下、文藝春秋、1984年、上: ISBN 416307600X、下: ISBN 4163076107
 
** 初出: 雑誌文藝春秋1981年1月号から1983年8月号まで連載
 
* 瀬戸内晴美著 諧調は偽りなり(文春文庫)文藝春秋、1987年、ISBN 4167116189
 
* 瀬戸内晴美著 瀬戸内晴美作品集4、筑摩書房、1972年
 
** 内容細目: 美は乱調にあり、鬼の栖。解説(松原新一)
 
* 瀬戸内晴美著 美は乱調にあり 文藝春秋、1966年
 
** 初出: 雑誌文藝春秋1965年4月号から同年12月号まで連載
 
* 瀬戸内晴美著 美は乱調にあり(角川文庫)、角川書店、1969年、ISBN 4041265029
 
* 瀬戸内晴美著 美は乱調にあり 新装版、文藝春秋、1984年、ISBN 4163077405
 
* 福田清人著 近代美女伝(利根文庫、史伝文学新書 第5)利根書房、1960年
 
** 内容細目: 岡田嘉子、波多野秋子、藤蔭静枝、春本万竜、松井須磨子、柳原白蓮、伊藤野枝、松旭斎天勝、与謝野晶子、照近江お鯉、平塚雷鳥、原阿佐緒
 
* 松下竜一著 ルイズ 父に貰いし名は 講談社、1982年、ISBN 4061459309
 
** 参考図書及び文献:p300 - 301。(「大杉の子、野枝の娘」と呼ばれて育ったルイズの逼塞した生活状況から伊藤ルイとして自らを解き放つまでの過程を、作家・松下竜一が伊藤ルイから取材して書いたルポルタージュ、[[ノンフィクション]]。伊藤ルイが「伊藤ムメ(祖母)を書いてもらう」ことを条件に取材に応じた)
 
* 松下竜一著 ルイズ 父に貰いし名は(講談社文庫)講談社、ISBN 4061834444
 
** 参考図書及び文献:p321
 
* [[松下竜一]]著 ルイズ 父に貰いし名は(松下竜 - その仕事 17)、[[河出書房新社]]、2000年、ISBN 4309620671
 
* [[若槻世都子]]著 熱情 伊藤野枝の青春、「熱情」出版プロジェクト、1996年12月
 
** (伊藤野枝を主人公にした創作シナリオ)
 
 
雑誌特集号
 
* 1971年11月 第4次 労働運動 第4巻第2号(大杉栄・伊藤野枝追悼号)、労働運動社、1924年3月(ギロチン社・ネビース社・黒色戦線社の共同出版として1971年11月に復刻発行)。
 
* 2000年2月 彷書月刊 第16号第3号/通巻174号(特集=わたしは伊藤野枝)、[[弘隆社]]、2000年2月、ISBN 4846002306
 
* 2002年12月 初期社会主義研究 第15号(特集=大杉栄)、堀切利高解題「堀保子・伊藤野枝・神近市子 - 資料」
 
 
== 関連する映画 ==
 
* 1960年 [[小森白]]監督 [[大虐殺 関東大震災と軍部]] [[新東宝]]作品、[[天知茂]]、[[北沢典子]]主演。野枝役を[[宮田文子]]が演じる。
 
** 甘粕事件を題材にしている。主人公はギロチン社の古田大次郎がモデルで天知茂が演じている。
 
* 1970年 [[吉田喜重]]監督 [[エロス+虐殺]] [[日本アート・シアター・ギルド|ATG]]作品、[[岡田茉莉子]]、[[細川俊之]]主演。野枝役は岡田茉莉子、大杉役は細川俊之。
 
** 日蔭茶屋事件を題材にした映画
 
* 1988年 [[深作欣二]]監督 [[華の乱]] 東映(京都)作品、[[吉永小百合]](与謝野晶子役)、[[松田優作]]([[有島武郎]]役)主演。野枝役は[[石田えり]]、大杉役は[[風間杜夫]]。
 
** [[永畑道子]]著 華の乱 夢のかけ橋を映画化。大正期の社会運動、芸術運動の群像映画
 
 
== 関連する演劇 ==
 
* 1987年 [[地人会]]第22回公演 ブルーストッキングの女たち
 
** 作:[[宮本研]] 演出:木村光一 於:本多劇場
 
* 2002年 [[劇団青年座]]162回公演 美しきものの伝説
 
** 作:宮本研 演出:鈴木完一郎 於:紀伊國屋サザンシアター
 
** 野枝役を川先宏美が演じる
 
* 2006年 [[劇団俳小]]32回本公演 美しきものの伝説
 
** 作:[[宮本研]] 演出:入谷俊一 於:東京芸術劇場小ホール2
 
** 野枝役を俳優座・伊勢佳世が演じる
 
  
 
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伊藤野枝いとう のえ1895年1月21日 - 1923年9月16日)は、日本の婦人解放運動家アナキスト(無政府主義者)、作家戸籍名は、伊藤ノヱ

雑誌青鞜』で活躍。わがままと言われる反面、現代的自我の精神を50年以上先取りした。不倫を堂々と行ない、結婚制度を否定する論文を書き、戸籍上の夫である辻潤を捨てて大杉栄の妻、愛人と四角関係を演じた。人工妊娠中絶(堕胎)、売買春(廃娼)、貞操など、今日でも問題となっている課題に取り組み、多くの評論小説翻訳を発表した。

成長期[edit]

福岡県玄界灘に面した今宿海岸、糸島郡今宿村(現・福岡市西区今宿)に生まれた。7人兄妹の三番目で長女。父・亀吉は1866年生まれ、母ムメは1867年生まれ。かつて伊藤家は「萬屋」(よろずや)という海産物問屋だったが、野枝が生まれる頃には没落していた。父は中年以降、鬼瓦(おにがわら)を彫る瓦職人になったが放蕩者で気位が高くろくに仕事をしないため、母が塩田の日雇いや農家の手伝いなどをして暮しを立てた。小学校2年生のとき口減らしのために一時叔母・マツの家に預けられた。母・ムメは、後に成人した野枝に「私は自分の子を他人にやったりは絶対にせんよ」と言われたことを後悔していると晩年に述懐したという。

周船寺高等小学校を卒業(1909年)して約9ヵ月間、家計を助けるため地元の郵便局に勤務しながら雑誌に詩や短歌を投稿。この年の夏に叔母(母の妹・代キチ)一家が東京から帰省した際に東京の空気に触れる。東京への憧れがつのり、三日にあげず叔父・代準介に懇願の手紙(「ひとかどの人物となり恩返しをする」など)を送った。その熱意に負け、叔母一家は暮れに野枝を東京に迎えた。

上京の翌年、猛勉強のすえ上野高等女学校(上野高女、現・上野学園)に1年飛び級で4年編入試験に合格。作文に抜群の成績をあげる。在学中、英語教師の辻潤と知りあう。1912年に上野高女を卒業。帰郷すると親の決めた相手と婚約が決まっていた。前年の夏、隣村の末松家と野枝本人に相談もなく仮祝言まですんでいたのである。しぶしぶ末松家に入って8日目に出奔、再び上京した。在学中に思いを寄せていた辻潤と同棲。1912年4月末、非難を浴びた辻は、あっさり教師の職を捨てて結婚生活に入った。

青鞜社[edit]

10月頃から野枝は平塚らいてうらの女性文学集団青鞜社に通い始め、社内外から集まった当時の錚々たる「新しい女」達、与謝野晶子長谷川時雨国木田治子小金井喜美子岡本かの子尾竹紅吉神近市子らと親交を深めて強い刺激を受けた。機関誌『青鞜』に詩「東の渚」などの作品を次々発表、頭角を現した。平塚らいてうが「原始、女性は実に太陽であつた」と謳ったのと対照的に、野枝は「吹けよ、あれよ、風よ、嵐よ」と謳っている。この時期、米国のアナキスト、エマ・ゴールドマンの『婦人解放の悲劇』の翻訳をし、足尾鉱毒事件に関心を深めた。

1915年に雑誌『青鞜』の編集・発行を受けつぐと「無主義、無規則、無方針」をモットーにエリート女性だけでなく一般女性にも誌面を解放。情熱的に創作・評論・編集に活躍し、『青鞜』を文芸雑誌から女性評論誌、あるいは女性論争誌と呼ぶべきものに変えていった。この間、長男の一(まこと)、次男の流二(りゅうじ)を出産。また中流階級婦人による廃娼運動を、娼婦の境遇に対して理解なきまま「醜業婦」の名を浴びせる偽善として厳しく批判した。

大杉栄[edit]

1916年4月、辻潤と離別。家族と仕事を捨て、翌月からアナキズム運動の中心人物であった大杉栄と文通を開始。秋に同棲。大杉には内妻の堀保子堺利彦の死別した最初の妻:美知の妹)のほかに東京日々新聞(東京日日新聞)記者・神近市子という愛人もおり、苦し紛れの「自由恋愛論」は批判の対象となっていた。ここに野枝が参入して四角関係になり、神近が11月に葉山の日蔭茶屋という旅館の一室で大杉を刺し、瀕死の重傷を負わせるに至る、いわゆる「日蔭茶屋事件」が起こった。神近は大杉に経済的援助を与えていたため生活は困窮。この件もあり『青鞜』は廃刊した。

翌年、大杉は内妻の保子と離別、神近は大杉に対する殺人未遂罪で入獄。「多角恋愛」で勝利した野枝は、9月に長女を出産、周囲からの「悪魔」呼ばわりを逆手に取って魔子と命名した(のち真子に改名)。貧乏のうえ、官憲に追われ監視される生活ながら大杉との生活は充実し、1918年に『文明批評』、翌年に『労働運動』を二人で創刊。『クロポトキン研究』『貧乏の名誉』『二人の革命家』など共著も多い。やがて次女・エマ(のち幸子に改名)、三女・エマ(のち笑子に改名)、四女・ルイズ(のち留意子、さらにのち本人はルイと名乗る)、長男・ネストルの5人が生まれた。その間に『婦人労働者の覚醒』を執筆。二人目の子を生んだ直後には『解放』1920年4月号で、結婚制度を否定する『自由母権の方へ』を発表、戦後ウーマンリブの結婚制度否定を50年早く提起した。1921年の普通選挙を前に結成された社会主義の婦人団体赤瀾会山川菊栄らと参加。

1923年9月1日関東大震災から間もない16日、大杉栄、大杉の甥・橘宗一とともに憲兵大尉・甘粕正彦に連れ去られ、その日のうちに憲兵 (日本軍)構内で扼殺されて死亡(甘粕事件)。遺体は、畳表で巻かれ、古井戸に投げ捨てられた。享年28。

53年後に発見された死因鑑定書によれば、野枝、大杉、共に肋骨が何本も折れており、胸部の損傷から激しい暴行を加えられていたことが発覚。軍法会議法廷で甘粕ら被告人は、被害者が「苦しまずに死んだ」と陳述していた。その後の研究によれば、虐殺の命令を出したのは甘粕ではなく、憲兵隊上層部(憲兵司令官・小泉六一)ないし陸軍上層部(戒厳司令官・福田雅太郎大将)であったと推認された。甘粕事件の発覚は、殺された大杉の甥・橘宗一が米国籍を持っていたため、米国大使館の抗議を受けて狼狽した政府(第2次山本内閣)の閣議(19日)で大問題になったからであった。

墓は郷里の福岡市早良区内野二丁目の西光寺と、静岡市葵区沓谷一丁目の沓谷霊園の2ヶ所にある。静岡にある墓は、「自由恋愛の神様」と聞いて参拝する女学生が多い。また、1975年9月16日、名古屋覚王山日泰寺で橘宗一少年の墓前祭が開かれて以来、毎年9月15日は名古屋で橘宗一の墓前祭が、翌16日は静岡で大杉栄・伊藤野枝の墓前祭が開かれることになっていたが、遺族らも高齢化し、2003年9月16日の80回忌が最後の墓前祭となった。墓前祭には三女の野沢笑子(82歳)、四女の伊藤ルイの遺児で王丸容典(59歳)ら200名が参列した。

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