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4th General Meeting
アナキズム を編集中(セクション単位編集)
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== 歴史 == [[Image:Proudhon-children.jpg|thumb|230px|娘たちと過ごす[[プルードン]]]] [[Image:Bakunin.jpg|thumb|200px|[[ミハイル・バクーニン]]]] ===形成=== アナキズムの理念的ルーツは古く、個々の、あるいは特定の思想家の信念や思想として生まれたものではなく、自由を求める歴史の中から、いわば精神の自然史というような形で生成してきたものだが、それを自覚した近代のアナキズムは、[[19世紀]]、フランスの[[ピエール・ジョゼフ・プルードン|プルードン]]の思想に始まる。続いて[[第1インターナショナル]]では[[プロレタリアート独裁]]を唱える"権威派"の[[カール・マルクス]]と、権力の集中を批判しアナキズムを主張する"反権威派"の[[ミハイル・バクーニン]]が論争を行った。またインターナショナルの運営においてもマルクスは総務委員会の権限強化を主張し、それに対してバクーニンは諸支部の連合を主張し対立した。インターの多数はバクーニンを支持したため、総務委員会のポストにあったマルクスは謀略的にバクーニンとバクーニンを支持するインターの各支部を除名し、第一インターナショナルを解体する。多数派を形成したバクーニンは、ただちにマルクス以下の残党を除名し、第一インターを継続させた。 ===革命運動史=== 第一インターの強力な支部を形成したイタリアは、バクーニンの影響を強く受けた[[マラテスタ]]、[[カフィエーロ]]、[[コスタ]]などの指導によりアナキズムが強力に根付いた。ロシアにおいては、[[ロシア革命]](十月革命)後の共産主義政権の独裁に反旗を翻して蜂起した[[クロンシュタット]]軍港の水兵たちの運動や、ウクライナにおいて白軍を撃退した[[ネストル・マフノ]]率いる[[マフノ運動]]の存在が大きい。モスクワやペテルスブルクなどの都市部においてもアナキストは、共産党の独裁に対する反対勢力として[[社会革命党左派]]([[エスエル]]左派)とも連携し、非合法をも含む様々な活動を展開している。スペインもまたバクーニン以来、アナキズムの根強い地域であり、20世紀前半の[[スペイン内戦]]においてアナルコ・サンディカリズムを主張する労組(CNT/FAI)は[[フランシスコ・フランコ|フランコ]]と対峙する[[人民戦線]]側では最大の勢力を誇り、各地で革命を起こし[[バルセロナ]]市では労働者による自治が行われた。また人民戦線政府の閣僚となったCNT/FAIに対して革命的アナキズムの路線を貫いた[[ドゥルティ]]や、「革命」とフランコとの「戦争」の二者択一のアポリアに対して「革命戦争」の方向を提示した「[[ドゥルティの友]]」の活動も看過してはなるまい。 19世紀末から[[20世紀]]前半に[[ヨーロッパ]]を中心にして、アナキストによる力尽くの体制排除を目的とした[[暗殺]]事件が世界中で多発した。当時の世界情勢は概ね[[帝国主義]]化しており、中には反帝国主義から事件を起こしたアナキストもいたと思われるが、しかし実際には効果が上がらず、[[第一次世界大戦]]以降は、体制並びにソ連などの[[共産主義]]によって[[弾圧]]されるなどして、アナキストの活動は収縮して行った。 ===近代日本=== 日本では、[[幸徳秋水]]が[[ピョートル・クロポトキン|クロポトキン]]の影響を受けたが、[[大逆事件]]で弾圧された。[[大正時代]]に入り、[[ロシア革命]]が起こると、[[大杉栄]]の主張する、労働組合を基盤とした[[アナルコ・サンディカリスム]]が一定数の支持を得て、[[マルクス主義]]者([[ボリシェビキ]])との間に[[アナ・ボル論争]]と呼ばれる論争が行われたが、大杉は[[関東大震災]]後の混乱の中、[[甘粕正彦]][[憲兵]][[大尉]]により殺害された。 <br>大杉の死後、大杉という主導的人物を失ったアナキズム運動は個人的の活動から組織的、社会的な運動となっていく。まず、[[八太舟三]]に代表される[[純正アナキズム]](アナルコ・サンジカリズムは、サンジカリズムの影響を受けており不純なアナキズムであると批判する)が盛んになり、その後は、アナキズムとしては異例の強固な「党的志向」をもった[[無政府共産党]]や、全国的な農民運動として、歴史的には「農青イズム」と呼ばれた革命的地理区画を全国に樹立した具体的で実践的な[[農村青年社]]の運動が登場する。 ===戦後日本=== 太平洋戦争敗戦後のアナキストは寧ろプルードンの立場に近く、実力での資本主義制度を打倒よりも地域コミュニティ再建の実現を目指していた。戦後のアナキズムはアナルコ・サンディカリズム系の[[日本アナキスト連盟]]と、純正アナキズム系の[[日本アナキスト・クラブ]]が啓蒙的活動を続けていたが、ほとんど影響力はなく、アナキズムは死んだに等しいと見なされていた。 <br>そのようなアナキズムが蘇ったのは[[1968年]]から[[1970年]]にかけての全国的な[[学生運動|学園闘争]]においてである。学園闘争の中心となった[[全共闘]](全学共闘会議)はノンセクトであり、その組織形態もアナキズムに多い自由な評議会的なものであったことからアナキズムへの関心が芽生えることになった。東京のアナキストは連盟の後継の要素を引き摺り、学習会的・サロン的色彩を払拭出来ず(麦社)、それ以外もテロリスト的な小結社主義(背反社)の域を出なかったが、関西・大阪のアナキストは、小組織・小グループの傾向を離脱して[[アナキスト革命連合]](ARF、アナ革連)という「アナキスト・ブント」とあだ名された統一組織を形成し、各大学や地域において強力な運動を展開した。関西の主要大学にはアナキスト連合の組織や支部が形成され、キャンパスにはアナキストの[[黒旗]]が翻り、一部では完全にマルクス主義者を凌駕していた。<br> 戦後のアナキストとしては、詩人の[[秋山清]]や評論家の[[大澤正道]]らがおり啓蒙的著述を続けていたが、その後、[[向井孝]]は非暴力直接行動論を粘り強く持論とし、[[千坂恭二]]はバクーニンの思想をベースにブント的アナキズムを精力的に展開した。アナキスト以外では作家の[[埴谷雄高]]や映画評論家の[[松田政男]]などがアナキズムに強い関心を示していた。最近のアナキストの例としては、竹中労と見沢知廉がいる。
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